第14回 天川村訪問(大橋茶屋と坂屋半治郎)
- 篠崎 聡
- 2021年10月2日
- 読了時間: 6分
更新日:2021年11月30日
緊急事態宣言が明けた最初の土曜日、天川村に行きました。
まず、小路の駅「てん」へ。
10時開店、17時閉店の「てん」。朝行かないと、お土産を買い損ねるのです。。。
洞川夏いちごを使った商品が増えてました。
ジャムも新しくラインナップされてました。
そして、店長が桑田さんから新しい方に変わっていました。
午前中の約束があったので、深い話はしませんでしたが、次回少しお話ししたいと思います。
そして、午前中は、大橋茶屋の小屋さんにお会いしました。
小屋さんは、以下のクラウドファンディングを立ち上げ、見事金額達成された方です。
【天川村】大峯山の麓にある茶屋を「新たな興味」への架け橋となる場に!
僕も、少額ながら、応援させていただきました。
小屋さんが、どんな事を課題として捉えて、どんな活動をされて来たのか、そしてこれからどんな活動をしようとされているのか?を聞くのが訪問の目的です。
いつも通り、まずは我々が何者かを、これまでの活動を交えてご説明しました。
問題定義については「その通りだ!」賛同いただきました。
そして、我々が今注力して取り組んでいる「西部地区」について
「西部地区は、天川村でもっと力を注ぐべき地区だ」
「西部地区は、あんな厳しい場所で生きている。震災が起きても、西部地区の人たちは何とか生きていく。水道が詰まっても、自分たちで直す。西部地区の人たちはすごい!」 とのご意見でした。
隣同士の80歳のおじいちゃんと、75歳のおばあちゃんが、協力して野菜を作っている。
急斜面で作る芋は、水はけがよく、とても美味しい。
そんな話も出て来ました。
天川村は元々、米が育ちにくく、粟などの雑穀や栗などの木ノ実などを得て生きて来た。
それが昔、杉や檜の山になり、今は「もみじ」や「きはだ」などを植えようとしている。
「もみじ」は観光のため。「きはだ」は陀羅尼助という産業のため。
それよりも、元々の生き方として、山の恵みを得られる「栗」などを植えた方が良いとも思っていらっしゃいます。
この山からの恵みを得て、工夫して生きるという所が、西部地区を尊敬している部分に繋がるのだと感じました。
西部地区の話だけではなく、中央地区や洞川地区の話もしました。
洞川ではお通夜はお坊さんを呼ばず、婦人会の方が「開経偈」や「般若心経」を唱えるそうです。それほど、宗教が生活に染み入っているのだと感じました。
中央地区の坪内の斎庭の代表、西岡さんが、弥山を鹿の食害から守るため奮闘された話も聞きました。
天川村全体のことをよくご存知で「村民は、他の地区のことを知らないといけない」というご意見をお持ちでした。
斎庭は、以下を参照下さい。 https://www.yuniwa.org
そんな小屋さんの課題感は、大峯山一択でした。
小屋さんは、小さい頃からお父さんに連れられて、大峯山の正式参拝を毎年行なっていて、ご自身も息子さんを連れて行っているそうです。
この往復6時間の時間の共有が、お互いを気遣い、1年間の変化も感じ、結果関係性を強固にしてくれるものだそうです。この辺り、僕は正式参拝したことがないので、うまく伝えられません。是非正式参拝したいと思いました。
とはいえ、大峯山を正式参拝する人が、少しづつ減って来ているそうです。小屋さんの課題感はここにあります。
これは、2つ要因がありました。
1)子供が大きくなった時に、子供が他に興味が移り、参拝が途切れることがある。
2)新しい人が正式参拝を気軽に行える入り口がない。
この大橋茶屋を起点に、正式参拝に気軽に入れる入り口を作るのが、小屋さんの活動になります。
もっとお話がしたかったのですが、次があるため、12時30分に大橋茶屋を後にしました。
小屋さんは、色んなアイデアや想いを持った方でした。そして、コーヒーをご馳走になりました。
ありがとうございました!
大峯山は、以下を参照下さい。 http://www.vill.tenkawa.nara.jp/ds/
大橋茶屋で昼ごはんと思っていたのですが、この日はご飯の提供はやっていませんでした。
なので、再度小路の駅「てん」へ。
ジビエサンドや、柿の葉寿司などを頂きました。ジビエサンドがボリューミーでとても美味しかったです。
午後は、前回天川村に来た時に幸家さんからご紹介頂き、少しだけお話ができた、坂屋半治郎オーナーの阪岡さんを訪ねました。今回は、じっくりお話をお伺いできました。
残念ながら天川村に来る事ができなかった木下さんは、zoomでの参加です!

まずは、我々が何者で、これまでどんな活動をして来たのかをお話しし、その後、阪岡さんのお話しをお伺いしました。
阪岡さんが天川村で担って来たお仕事から、この宿を始める経緯、阪岡さんが何を大事にしていて、その想いがどう宿に反映されているのかなど、3時間半ほどみっちりお話し頂きました。
以下、メモを元に要約を記載しますが、理解の間違いなどありましたら、ご容赦ください。
数字に強く、物事を俯瞰的に捉え、本質を考える方だと感じました。
財政を担当されていたので、地域財政アカデミーの小西砂千夫先生の勉強会に通われ、東大の神野直彦先生の造詣にも触れられ、数字を見ず人間を見る事が大事だと学ばれたそうです。
幸せとは何か?
地域を幸せにするのは関係人口。
地域も、関係する人も幸せになる。
修験道は村の外から人が来て、この地域を守ってくれている。 コア(阪堺役講:はんかいやっこう)
サポーター
ファン
ビジター
というピラミッド型の関係人口の上に成り立っているのが、修験道だそうです。
リトリート(数日間住み慣れた土地を離れて、仕事や人間関係で疲れた心や体を癒す過ごし方)が、幸せになるにはとても大切なプロセスであり、アミニズム(生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方)や精神性を感じる場所で数日過ごす事が、癒しに繋がるというお話を頂きました。
午前中の小屋さんのお話しに出た、大峰山正式参拝の時間の過ごし方にも、少し共通するものがあると感じました。
奥田さんからは、幸せな国デンマークと共通する部分があるとの話も出ました。
時間の余裕がある、時間がゆっくり流れる。あくせくしていない。
精神性まで併せ持った天川村は、考えるきっかけを作る場であるし、自然との関係性の中で生きていける規模を守らなければならない。そして、この宿屋、坂屋半治郎も、そんな場所にしたいという想いがとてもよくわかりました。
また、天川村の歴史にもとても詳しい方でした。
五代友厚はもちろん、森田節齋やその父の文庵(塩野の生まれらしい)の話や、文庵は楠木正成の5代後である話、天誅組の乾十郎は森田節齋から学んだなど、次から次へとお話が溢れて来ます。
歌人の前登志夫や、吉野熊野国立公園の父・岸田日出男の話も出て来ました。
天川村で開催した名水サミットにて、小松和彦先生と、小林光審議官を呼んで、水とは何か?その精神性について考えるシンポジウムを行った。という話を聞かせて頂きました。
河童伝説などは、川の淵が危ないと感じる心の中から出て来たもののようです。
今回の阪岡さんのお話は、とても盛りだくさんで、消化しきれる量ではありませんでしたが、
「1万人に一人、この価値を感じる人がいて、ここに来てくれたら良い」という言葉に、万人を求めず、この価値を理解する人たちだけで構成される関係人口のイメージが湧きました。
阪岡さん。長時間ありがとうございました。
この後、天川弁財天の禊殿に行きました。
本殿には良く行くのですが、禊殿は離れていることもあり、なかなか行く機会がなく、今回初拝殿です。凛と佇む赤い神殿はとても美しかったです。
お楽しみの晩御飯。大淀食堂街のどんちゃん食堂がまた閉まっていたので、台湾料理店へ。
お腹いっぱいになりながら、西部地区のワークの設計を軽くやって、第14回の天川村訪問を終えました。
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