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執筆者の写真篠崎 聡

番外編:創造的人口減少を可能にするまちづくり生態系

天川村の課題発見・解決の参考になると思って、以下のオンラインイベントに参加しました。

とても得るものが多いイベントでした。



<佐野先生の基調講演>

先進的な取り組みを地域づくり事例から、

 1)誰が地域づくりの主体となり

 2)どうネットワークを形成し

 3)地域イノベーションを起こし得る状況を作っていったのか

を整理されていました。

その整理の中から、

「エコシステムの成立過程と条件は何か?」

を探る研究の成果を、わかりやすく解説いただきました。

※ エコシステム=地域づくり主体のネットワークと関係性から生まれる自律的秩序の総体


先進的取り組み事例は、

「セクターを越えた協働と住民の主体的参加により、複雑な地域課題の解決を行う地域における多様なプレイヤーによる機能的ネットワークであり、相互作用と共進化により持続する自律的システム」

を形成しており、それを

「内発的地域イノベーション・エコシステム」

と名付けていらっしゃいました。

中央統制に依らず、自己組織的に形成しているのが特徴です。これを「協働ガバナンス」とも呼んでいました。地域アイデンティティを共有しあえる圏域であるから、ビジョンが共有でき、可視化され、協働ガバナンスが働くと理解しました。


形成過程は、  誕生期:中核プレイヤーの成長

 成長期:多様な主体とのネットワーク形成

 発展期:マルチセクターによる協働ガバナンス・システム

 成熟期:自律的秩序形成と共進化

のステップで進むともまとめていらっしゃいました。

とても納得感がありました。


その後、後に講演される  徳島県神山町

 島根県海士町

 宮城県女川町

の「内発的地域イノベーション・エコシステム」を、佐野先生視点でまとめておられました。



<徳島県神山町:大南 信也さん>

神山町の進化の過程は、以下のステップで進んできたと教えていただきました。

 神山0.0(1991〜)

  「青い目の人形」の里帰りによる国際交流

 神山1.0(1999〜)

  アート・イン・レジデンスによる芸術家の1年間滞在・作品創出活動

 神山2.0(2008〜)

  レジデンス事業を、町に必要な働き手や、クリエーターに広げ、関係人口づくりへ

 神山3.0(2010〜)

  サテライトオフィスが生まれ始める。

 神山4.0(2015〜)

  サービス業が続々と生まれ、商店街再生へ

 神山5.0(2019〜)

  神山まるごと高専プロジェクト開始、2023年開校へ。


これらは、計画してなされたわけではなく、

「創造性のある人が集まれば、変化が起きるはず」

という想いで推進されていったものだそうです。

ポイントは「行動を起こすこと」

そうすることで「変化」が生まれ、その先を覗きたくなる。

変化が起きている、面白いところに、人は集まり、住みたくなる。


そういったお話をお伺いしました。



<島根県海士町:阿部 裕志さん>

海士町は島根県沖にある島です。

その島にある高校に通う生徒が少なくなり、高校が統廃合される危機が訪れたそうです。

高校が島に無くなれば、高校生になった子供たちは島から出ていく。

島から出ていったら最後、島に戻ってこない子供たちが多くを占める。

まさに、天川村の構図と同じ状況になってしまいます。


そこで取り組んだのが、高校の魅力化の活動。

離島にあることをネガティブに捉えるのではなく、ポジティブに捉える。

そうして

 1)島全体が高校のキャンパス

 2)島民全員が先生

 3)島の課題は良い教材

という、他にはない魅力的な学校が出来上がっていったそうです。


また、環境省が取り組んでいる「地域内経済循環」の分析にも、しっかり取り組まれていました。

現状を把握された上で、どう稼ぐのか?どう漏れを防ぐのか?の2つの視点で、打ち手を考えて行かれたそうです。



<宮城県女川町:小松 洋介さん>

2011年3月11日の震災で、女川は壊滅的な被害を受けました。

死者・行方不明者の率が最も高く、震災後の人口流出も多くなりました。


そんな中、復興連絡協議会が立ち上がります。

行政とは別に、民間が復興計画を考えていったそうです。

還暦のリーダーが立ち上げたのですが、

「還暦以上は口を出すな!」

と、最初に釘を刺したそうです。


復興は20年はかかる。

還暦を超えた人は、もうその復興の様子を見ることはできないかもしれない。

そんな人たちが「ああした方が良い、こうした方が良い」と口を出すべきではない。


そうして、若手中心に、復興計画が進んでいったそうです。


人口減については、その質を考えていったそうです。

活動する人の数=活動人口を増やす。

その様な考え方で、復興を進めていったとのことでした。



<第2部:分科会>

私は、神山町の分科会に参加しました。

ここで「計画をしない」「変化を起こす」というキーワードが出てきました。

ここでの話も含めて、上にまとめて書きましたので、ここでは割愛します。



<第3部:パネルトーク>

パネルトークは、冒頭、佐野先生が、各地域それぞれについて描かれた「内発的地域イノベーション・エコシステム」を参照しながら、これが的を射てるのかのディスカッションから始まりました。


3地域で共通だったのは「描かれたエコシステムは、その断面ではその通りだが、その後変化していくものである」というコメントでした。

例えば海士町は、役場が中心的な役割を果たしていった(攻めの役場)のですが、民間主導に変わっていくべき時期だとのコメントでした。

「エコシステムは変わっていくものだ」

「町は作り続けていくものだ」

というコメントがとても印象に残りました。


事前質問のコーナーでは、私の質問を取り上げていただきました。

これには、阿部さんが答えてくれました。

「自分が関わって、変わると思えること」

これが一番大事だそうです。


そして

「関わりしろを作るなら、巻き込む側の必要」

「反対派は最初から会議に入れて、納得してもらうのが大事。後から入れると大変」

というアドバイスも頂きました。


13時に始まり、17時30分を少し超えて終わりました。

本当に盛りだくさんで、気づきが多いオンラインイベントでした。


ご講演いただいた先生方をはじめ、関係者の皆様に、深く感謝申し上げます。

頂きました知見は、天川村の活動に活かして参ります。


長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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